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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和40年(ワ)126号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕訴外敏昭が昭和一八年一月一九日生れの男子であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、訴外敏昭は普通の健康体であつたことを認めることができるから、訴外敏昭は本件事故<編註、その発生日は、昭和四〇年四月六日>に遭遇しなければ、第一〇回生命表による余命年数である四六年(年未満省略)程度は生存できたものと推認できる

<証拠>を総合すれば、原告方家族は訴外敏昭死亡当時においては原告(五三才)<編註、訴外敏明の父>、原告の妻芳子(三七才)、原告とその前妻サワノとの二女竜子(一八才)、原告と妻芳子との長女初枝(一一才)二女温美(八才)に敏昭を加えた六人家族であつたこと、家業の農業は田七反、畑五反を耕作していたが、温室九二坪、ビニールハウス三〇〇坪、花畑二反を利用しての花卉栽培に力を入れ、農業収入の約八割を花卉栽培によつて得ていたこと、原告方の農業は原告とその妻と訴外敏昭が担当していたが原告は病弱なため、軽作業をするのみであり、妻は家事をしなければならないので、結局昭和三六年三月県立大村園芸高校を卒業し、花卉栽培の技術も身につけている敏昭がほとんど一人で担当し、自動車の運転免許証をもつている同人が出荷の仕事をも担当していたこと、原告方の農業所得は昭和三九年度においては原告の所得として金五二四、五三二円が申告されていること、訴外敏昭と同じ高校を卒業し一年後輩に当たる者で造園関係の会社に就職した場合、昭和四一年六月現在で、本給月額二三、〇〇〇円を得ていること、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。右認定事実によれば、訴外敏昭は前記認定の生存期間のうち、六〇才に達するまでの三八年間は原告主張の年額金二六二、二六六円の割合による収入を得ることができたものと認めることができる。原告は、右認定以上に生存期間全部について収入を得ることができる旨主張するけれども、前記認定以上に稼働できる可能性が全くないとはいえないにしても、被告らが賠償すべき損害算定の基礎とするに足りる程度の蓋然性を有するとは認め難い。

なお被告らは、原告が農業主であつて諸税も原告が負担しており、亡敏昭は原告の手伝をしていたにすぎず、敏昭自身の農業所得は、同人が農業主となるまでは皆無であるというが、前示のとおり原告方の農業経営はほとんど亡敏昭が主宰、担当していたもので、単なる原告の手伝であつたとは到底認められないのみならず、<証拠>によると、原告居住地域においては、一般に親子ともども農業を営む場合、実質上の経営主体がそのいずれにあるを問わず、親が名義上の経営主となり、農業所得はすべて親の収入として税務署等に申告している事実を認めることができるから(右認定に反する証拠はない)、本件において農業所得の納税名義人が原告となつているとの一事をもつて、亡敏昭の農業所得を全く否定することはできない。本件のように被害者の得べかりし利益が問題となつている場合には、これらの外見上、名義上の所得にかかわらず、その実質的な所得の帰属、収入を探求すべきことけだし当然であつて、被告らの右主張は顧慮するに足りない。

次に訴外敏昭が右認定の収入を得るために必要な生活費について判断する。<証拠>によれば、原告方では主食は自給できるので、家族一人当たりの生活費は月額五、〇〇〇円を上廻らなかつたことが認められ、成立に争いのない甲第二八号証の一、二(長崎県刊行の昭和三九年県民所得報告書)によれば昭和三九年度における長崎県の保有農地が原告方と同程度の農家一人当たり消費支出額は年額金七三、〇二〇円程度となつていることを認めることができる。右認定の各事実を総合すれば、訴外敏昭が必要とする生活費は原告の主張する年額金七三、〇二〇円を上廻らないものと認めることができる。

そこで、前記認定の年間収入額から右生活費を控除した金一八九、二四六円が訴外敏昭の得べかりし年間純利益となり、これに三八を乗じた金七、一九一、三四八円が同人の稼働可能期間中における純利益の総額であるが、これを損害発生時の現価に換算するため、ホフマン式計算方法に従い、年毎に民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると金三、九六八、五四五円(円未満切捨)となり、したがつて訴外敏昭は右同額の損害を蒙つたものというべきである。(藤野岩雄 諸江田鶴雄 梶本俊明)

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